東京地方裁判所八王子支部 平成3年(つ)1号 決定 1992年4月30日
主文
本件請求を棄却する。
理由
一 本件請求の趣旨及び理由
本件付審判請求の趣旨及び理由は、請求人ら代理人弁護士三村伸之、同安川幸雄が連名で作成した「付審判請求書」と題する書面に記載されたとおりであるが、その要旨は、請求人らは、平成三年三月二九日、司法巡査である被疑者甲を、特別公務員暴行陵虐致死傷等の罪で東京地方検察庁八王子支部検察官に告訴したところ、同支部検察官は、甲巡査を不起訴処分に付し、請求人らは、同年四月二八日まで(記録上は同年四月二七日から同年五月二日まで)にその旨の通知を受けた。しかし、請求人ら(Bは、Cの父、DはCの母、EはCの姉、G、Fは、いずれもCの兄)は、右処分に不服があるから、右事件を東京地方裁判所八王子支部の審判に付するため、本件請求に及んだ、というのである。
二 付審判請求の被疑事実の要旨
本件被疑事実の要旨は、被疑者甲は、警視庁巡査で、警視庁小金井警察署に勤務していた者であるが、平成二年九月一一日午後一一時五〇分頃、東京都国分寺市<番地略>路上において、Cに対し、警告なしに、至近距離からけん銃で同人を狙撃し、銃弾を同人の胸部に命中させて、同人を死亡させ、次いで、警告なしに、至近距離から、けん銃で請求人Hを狙撃し、銃弾を同人の左大腿部に命中させて、同人に対し約三箇月半の入院加療を要する傷害を負わせた、というものである。
三 当裁判所の判断
1 本件記録、なかんずく被疑者の検察官に対する平成二年九月三〇日付、平成三年二月二〇日付、同年三月二九日付各供述調書、J、K(二通)の検察官に対する各供述調書、N(二通)、Oの司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の平成二年一〇月一八日付実況見分調書等の関係証拠によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件発砲行為に至るまでのC、H、Iらの行動
(1) C、H、Iの三名は、いずれも板金工として働いていた者であるが、平成二年九月一一日午後六時三〇分頃から、国分寺市<番地略>所在の飲食店「竹乃家」に立ち寄り飲酒していた。
ところが、同日午後九時三〇分過ぎ頃になって、酔ったIが、「竹乃家」の東隣にあるラーメン店「ふくふく」前路上で立小便をしたことから、これを注意した同ラーメン店の経営者と口論になり、たまたま付近を通りかかったJが、これを見とがめて注意したところ、Cはこれに憤激し、Jの顔面を手拳で殴打して、同人を路上に転倒させたうえ、C、HらがJの身体を多数回にわたって殴打、足蹴にする暴行を加え、更に、Cが、逃げ出したJを追いかけ、襟首を掴んで路上に引きずり倒し、殴る蹴るの暴行を加え、同人に対し頭部挫傷等の傷害を負わせた。
(2) Cら三名は、再び「竹乃家」に戻って飲酒し、午後一一時三〇分頃、「竹乃家」を出たが、宿泊先の国分寺市<番地略>「まりも旅館」へ帰るため、同町三丁目三〇番一二号マンション「メグハイム」前にさしかかった際、Hが、路上に置かれていたごみ袋を「メグハイム」一〇一号室K方ベランダに投げ込んだ。そして、Kが、これに気づき、抗議するため追いかけてくると、Cが「まりも旅館」前路上で、いきなり、Kの腹部を殴打したのを手初めに、H、Iも加わって、Kの身体を殴打、足蹴にしたり、Cがライターを点火して、その火をKの顔面に近づける等の暴行を加え、同人に対し後頭部打撲傷等の傷害を負わせた。
(二) 本件発砲行為
(1) 警視庁小金井警察署国分寺駅南口派出所に警ら係として勤務していた被疑者は、前記Kから被害申告を受け、犯人の人相、着衣等を聴取した後、自転車に乗って犯人を検索していたが、前同日午後一一時五〇分頃、「まりも旅館」玄関先の暗がりに佇んでいたC、H、Iの三名を発見した。
(2) 被疑者は、Cらの服装が犯人と酷似していたため、同人らに近寄り、「先程、この先で殴られた人がいるのだが、そのことで一寸聞きたい。」と質問したところ、Hが被疑者に詰め寄り、「何だ、俺達がやったとでもいうのか。」と凄んだ。そのため、被疑者はHの気勢に押されて二、三歩後退し、まりも旅館前の路上でHと対峙した。すると、Cが、「まあまあ」と言いながら、被疑者とHの間に割って入ったので、被疑者は、Cが仲裁に入ってくれたものと思い油断した矢先、Cが、いきなり被疑者の胸部をめがけて三、四回連続して頭突きを加えた。
被疑者は、突然の攻撃に身の危険を感じ、「この野郎、やってんじゃねえ。(「止めなさい」の意味)」と言いながら、警棒を抜き、Cを制圧しようとすると、傍らにいたHが、「それで殴るのかよ。」と怒鳴り、被疑者の両肩に掴み掛かり、被疑者がHの手を振り払うと、今度は、Cが、「この野郎、お巡りだと思って偉ぶってんじゃねえ。」と怒鳴りながら、被疑者の胸倉に掴み掛かり、次いで、Hも被疑者の制服を掴み、Iもこれに加わって揉み合ううち、被疑者とCは、バランスを崩して、抱き合うような形で路上に転倒した。
被疑者は、転倒後、Cから、「この野郎、殺してやる。」と怒鳴られて首を絞められ、その間に、Hから右手に持っていた警棒を奪われた。そして、なおも自分の首を絞め続けているCを振りほどいて立ち上がろうとしたところ、Hから警棒で頭部を六、七回強打され、その衝撃により、路上に座り込んでしまった。しかし、Cは、なおも、被疑者の胸倉を掴んで上体を持ち上げ、突き放すなどした。
(3) 被疑者は、CやHらから、引き続き、このような暴行を受けたら殺されてしまうと考え、右腰に帯びていたけん銃を右手で取り出し、身体の前に構え、「これ以上やるとこうだぞ。」と警告した。しかし、Hは「おう、出したな。」と、Cは「何だ。この野郎、それで撃つのか。」と言って、ひるむ気配もなく、Cは正面から右手で銃身を掴みけん銃を奪おうとした。被疑者は、Cの勢いに負け、その場に尻餅をついて座り込んだが、なおも、Cは前屈みの姿勢になり、両手で銃身を掴み、けん銃を奪おうとしたため、被疑者は、「止めないと撃つぞ。」等と警告したものの、Cは手を放そうとしなかった。しかし、被疑者は手を左右に振るなどして、Cの手を振り切った。
ところが、その直後、Cは、なおも両手を前に広げ、前屈みになって、被疑者に向かって覆いかぶさるように襲いかかってきたので、被疑者は、尻餅をついた姿勢から、銃口をCに向けて発砲し、銃弾が同人の胸部に命中した。すると、今度は、Hが、「やったな。」と言って、右斜め前方約一、二メートルの地点から、被疑者の方に踏み出してくる気配をみせたので、被疑者は、銃口をHの足部に向け、同人を威嚇するため、二発目を発砲し、銃弾が同人の左大腿部に命中した。
右二回の発砲により、Cは、胸部貫通銃創に基づく心・肺損傷による失血兼循環・呼吸機能障害のため死亡し、Hは、左大腿骨開放骨折の傷害を負った。
2 ところで、Hは、捜査官の取調等に際し、当初、「Cは直立した姿勢で警察官に狙撃された。」旨供述していたが(Hの司法警察員に対する平成二年九月二七日付、同年一〇月二一日付(本文二一枚)各供述調書)、その後、「Cは、それまで警察官を掴んでいた手を離して、座り込んだ状態から立ち上がり、前傾姿勢となって一、二歩後退し、直立する直前に狙撃された。」旨を供述するようになり、他方、「逃げようと思っていたところ、傍らにいたCが突然狙撃されて倒れたので、顔をそちらに向けて見ていたら、自分も狙撃された。」とも供述している(Hの司法警察員に対する平成三年三月一一日付(本文九枚)、同年三月二二日付、検察官に対する同年三月二三日付、同年三月二八日付各供述調書及び司法警察員作成の同年四月二日付「犯行状況再現実施報告書」中のHの指示説明部分)。
右のHの供述は、多少の食い違いはあるにしても、結局のところ、CとHが、逃げ出そうとしているのに、被疑者から狙撃された旨を言うものであり、前掲1(二)(3)認定の事実にそう被疑者の捜査官に対する供述(被疑者の前掲検察官面前調書)と大きく齟齬している。
しかしながら、Cの左胸部に認められる貫通銃創は、創管の全長が約27.6センチメートル、創の方向が、体幹前面に対して左斜上方から右斜下方で、表皮面に対して約二〇度ないし四〇度の角度をなしており、射入口は直立姿勢で地上から約一二九センチメートル、射出口は直立姿勢で地上から約113.5センチメートルであること、右銃創は、けん銃で至近距離から撃たれたため形成されたものであることが認められるのであるから(医師佐藤喜宣、同遠藤任彦共同作成の鑑定書及び司法警察員作成の検視調書)、右銃創は、Cが直立ないしはそれに近い姿勢で銃弾を受けたため形成されたものとは到底考えられず、むしろ、Cは、被疑者のすぐ目の前で、前屈みの姿勢を取っている際に、銃弾を受けたと認めるのが相当である。当時、被疑者が尻餅をつき上体を起こした姿勢で発砲していることを考慮すれば、「Cが、前屈みになって襲いかかってきたので、発砲した。」旨の被疑者の供述は十分信用できる。
更に、Hの受傷の状況を見ると、銃創は、左大腿部前部外側からやや内側に、斜め上方に貫通しており、射入口は直立姿勢で地上から約六二センチメートル、射出口は直立姿勢で地上から約六八メンチメートルであることが認められる(司法警察員作成の平成二年九月二〇日付「被疑者の入院先等医師からの病状聴取結果捜査報告書」及び同年一〇月六日付「負傷部位測定実施結果捜査報告書」)。そうだとすれば、被疑者の発砲時の姿勢をも併せ考慮すると、「Hを威嚇するため、同人の足部を目掛けて発砲した。」旨の被疑者の供述に疑問を抱かせるところはなく、たとえ、その当時、Hが警棒を所持していなかったとしても、前記1(二)(2)(3)に認定した同人の被疑者に対する暴行等の態様をみれば、「Hが、『やったな。』と言って、右斜め前方約一、二メートルの地点から、自分の方に踏み出してくる気配を見せた。」旨の被疑者の前掲供述は十分信用できるのであって、「自分の傍らにいたCが突然狙撃されて倒れたので、それを見ていたら、自分も狙撃された。」旨を言うHの供述はたやすく措信し難い。
そして又、Cの左手第二指基節部・末節部及び左手第三指中節部の手掌側に存在する長さ0.2センチメートル、長さ0.9センチメートル、長さ1.4センチメートルの横走する線状の赤褐色表皮剥脱の創傷は、Cが被疑者の持っていたけん銃の銃口を握り、被疑者が銃把を左右に回転させるように捩り、手前に引いた場合、銃口の照星が成傷器となり得る可能性が極めて大きいことが認められる(司法警察員作成の平成三年三月一日付「被疑者C(死亡)の左手掌面の創傷に関する聴取報告書」及び同年三月四日付「被疑者C(死亡)の左手掌面の創傷に関し解剖医考察成傷状況再現および写真撮影報告書」)。そればかりか、本件現場付近でCらの暴行を目撃したL、Mの両名は、捜査官に対し「白っぽい服装の男(H)がしゃがみ込んでいる制服姿の警察官の頭部を、『ぶっ殺してやる。』などと怒鳴りながら、右手に持った棒で殴りつけており、その傍らで二人の男が警察官の身体を押さえ付けていた。このままだと警察官は殺されてしまうと思った。」旨を供述している(Lの検察官に対する供述調書、Mの検察官に対する平成二年九月二四日付供述調書)。
これらは、「Hから警棒で頭部を強打され、Cからけん銃を奪われようとした。」旨の被疑者の前掲検察官に対する供述の信用性を裏付けるに足るものというべきであり、その意味でも、被疑者は、事態の推移とC、Hらの言動を的確に観察記憶していることが明らかであり、その供述の信用性に疑いを差し挟むところはない。
その他、関係証拠を検討してみても、C、Hの両名が、暴行を中止してその場から逃げ出そうとする気配や態勢をみせているのに、被疑者が、敢えて、警告もせずに、発砲したという事実を認めることはできない。
なお、Hは、職務質問を受けた際、「うるせえ。向こうに行ってろ。」などと言って被疑者の肩辺りを手で押したところ、被疑者から「ぶっ殺すぞ。」と言われた旨供述するが(Hの検察官に対する平成三年三月二三日付供述調書)、その場の状況から見ても、被疑者がこのような発言をしたとは考えられず、Hの右供述は措信の限りでない。
3 本件発砲行為の適法性
既に見たように、C、Hらは、被疑者から職務質問を受けると、いきなり、Cが被疑者に頭突きを加え、被疑者が警棒を用いて右の暴行を制止しようとすると、右両名は、被疑者の身体に掴みかかり、被疑者が路上に転倒すると、今度はHが警棒を奪い、これで被疑者の頭部を強打し、被疑者が公務執行に対するこのような抵抗を抑止するため、けん銃を取り出して警告すると、Cは、被疑者が手にしているけん銃の銃身を掴み、これを奪おうとし、更に、座り込んでいる被疑者に覆いかぶさるように襲いかかったことが明らかである。右一連の暴行が終始間断なく被疑者に対し加えられていること、Hは、すぐ間近で対峙している被疑者から、けん銃を示され警告を受けているばかりか、被疑者がCに対し発砲したことを知っているのに、なおも、被疑者に立ち向かう姿勢を示していること等を考え併せれば、C、Hのこれら行為が被疑者に対する急迫不正の侵害に該当することは当然である。
そこで、Cに対する発砲について見ると、上記のようなCらの攻撃の執拗性、凶暴性、更には、Hが奪い取った警棒で被疑者の頭部を多数回にわたって強打し、被疑者が七針の縫合を要する左側頭部裂傷等の傷害を負っていること(司法警察員作成の平成二年九月二二日付「被害者の負傷部位見分捜査報告書」)等にも照らせば、被疑者が、Cにけん銃を奪われた場合には、逆に同人から狙撃され、自己の生命、身体に重大な危害が加えられる虞れがあると考えたとしても決して不合理かつ不自然ではない。従って、当時、被疑者には、Cからの攻撃を制圧し、自己の身を守るため、けん銃を撃つ以外に他の実力行使の手段がないと信じるに足りる相当な理由があったというべきであり、客観的状況もそのようなものであったと認められる。防衛行為の相当性に欠けるところはない。
更に、Hに対する発砲について見ても、前同様、同人の攻撃の執拗性、凶暴性からみて、被疑者には、Hからの攻撃を制圧するため、同人の足部をねらって威嚇射撃する以外に、他の実力行使の手段がないと信じるに足りる相当な理由があったと認められるうえ、Hの身体に見られる銃創の部位から見ても、発砲に当たっては、それにふさわしい相当の注意が払われていたものと認められる。これ又、防衛行為の相当性に欠けるところはない。
従って、被疑者の本件発砲行為は、刑法三六条の正当防衛に該当し、その違法性が阻却されることは明らかであり、警察官職務執行法七条等に規定する適法な武器の使用にも当たるというべきである。
4 以上の次第であるから、検察官が本件特別公務員暴行陵虐致死傷の被疑事実について、罪とならないことを理由に、被疑者を不起訴処分としたことは、正当であって、本件付審判請求は理由がない。
よって、刑事訴訟法二六六条一号により、本件付審判請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官井上廣道 裁判官榊五十雄 裁判官森炎)